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仙台高等裁判所 平成7年(ラ)47号 決定

抗告人 菊川フサエ 外2名

主文

原審判を取り消す。

抗告人らの相続放棄の申述をいずれも受理する。

理由

1  抗告人らの抗告の趣旨及び理由は、別紙「即時抗告申立書」記載のとおりである。

2  当裁判所の判断

(1)  本件記録によれば、以下の事実を認めることができる。

ア  被相続人菊川善造(以下「被相続人」という。)は、平成4年11月9日に死亡し、同人には、妻の抗告人フサエ、長女の抗告人典子、長男の一基、二男の抗告人重基がいる。

イ  被相続人は、生前、抗告人フサエの肩書住所地の土地及び建物と約1500坪の畑を所有し、同抗告人と共に長男一基の経営していたオオトリ急送株式会社(以下「オオトリ急送」という。)の名義上の役員となっていたが、同抗告人と同様に同社の経営には一切関与せず、また役員報酬等の支給も受けていなかった。被相続人と同抗告人の生活は、畑の一部約2反を耕作し、二人の年金として年額約80万円に子供達からの生活費の援助によって維持されてきた。

ウ  オオトリ急送は、会社の社員寮とするマンションを購入するため、平成元年3月29日、大山信用金庫から、1億1550万円を借り受け、同日、被相続人は、長男一基と共にオオトリ急送の同債務を連帯保証しているが、被相続人の同保証契約の手続は長男一基が行った。

エ  被相続人の財産は、長男一基が、被相続人の生前、その借財を返済してその生活の維持に貢献したといった事情があったため、被相続人の生前から、長男一基や抗告人ら間において、一切の財産を長男一基が取得することに合意していた。長男一基は、被相続人の死亡後、同趣旨に沿った手続を司法書士に依頼するよう抗告人フサエに指示した。

オ  抗告人らは、被相続人の死亡当時、被相続人には上記した不動産があるだけであり、債務は一切ないものと信じ、同不動産の一切も長男一基が取得することで合意していたこともあって、自らが相続すべきものは何もないものとして、平成5年1月ころ、司法書士から送付された「相続分不存在証明書」に署名押印し、これに印鑑証明書を添付して司法書士に返送した結果、同不動産について、被相続人から長男一基へと所有権の移転登記がなされた。

カ  抗告人らは、平成6年7月ころ、大山信用金庫を原告とする、被相続人の上記連帯保証債務の相続人として、抗告人フサエは5103万2879円と内金5007万3242円に対する同年1月13日から完済まで年14・5%の遅延損害金を、抗告人典子及び同重基は、いずれも1701万0959円と内金1669万1080円に対する同日から完済まで年14・5%の遅延損害金を、それぞれ支払えとする訴状の送達を受け(浦和地方裁判所熊谷支部平成6年(ワ)第×××号事件)、被相続人には、同信用金庫に対する多額の保証債務があることを初めて知った。

キ  抗告人らは、抗告人ら代理人弁護士に委任し、平成6年8月24日、原審裁判所にいずれも相続放棄の申述をした。

(2)  上記事実によれば、抗告人らは、被相続人の死亡当時、少なくとも、被相続人名義の不動産が存在していたことを認識していたものであるところ、抗告人らの本件相続放棄の申述は、被相続人の死亡後1年9か月余りを経過した後のものであることは明らかである。

しかしながら、上記事実によれば、抗告人らは、被相続人の生前から、被相続人名義の不動産の一切を長男一基が取得することで合意していたものであって、被相続人の死亡後も、当然にその合意のとおり長男一基に権利が移転するものと考え、自らが取得することとなる相続財産は存在しないものと考えていたことが窺えるのであって、「相続分不存在証明書」はその手続のために用いられたに過ぎないものというべきであるから、抗告人らにおいては、被相続人の死亡により、被相続人名義であった不動産が相続の対象となる遺産であるとの認識はなかったもの、即ち、被相続人の積極財産及び消極財産について相続の開始があったことを知らなかったものと認めるのが相当である。

そうすると、抗告人らは、大山信用金庫を原告とする上記事件の訴状の送達により、相続人として、相続の対象となる被相続人の債務の存在を初めて認識するに至ったものであるから、同訴状の送達の時をもって「自己のために相続があったことを知った時」と解するのが相当であり、抗告人らの相続を放棄するか否かの熟慮期間は、同訴状の送達を受けた日から進行するものというべきである。

(3)  上記したところによれば、抗告人らの本件相続放棄の申述は、未だ熟慮期間内の申立てであるから、これを受理するのが相当である。

よって、これと結論を異にする原審判を取り消し、抗告人らの申述をいずれも受理することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 武田平次郎 裁判官 栗栖勲 若林辰繁)

(別紙)

即時抗告申立書

仙台高等裁判所 御中

1995年×月××日

抗告人の氏名等〈省略〉

上記抗告人らについての山形家庭裁判所長井出張所平成6年(家)第239号、ないし第241号相続放棄申述事件につき、同裁判所が平成7年3月14日になした「申述をいずれも却下する」との審判に対し即時抗告をします。

抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を山形家庭裁判所長井出張所に差し戻すとの裁判を求めます。

抗告の理由

1、原審判は認定した事実に誤認があると共に、引用した最高裁判所昭和59年4月27日判決の趣旨にも反しており不当である。

2、まず、原審判は事実の認定において抗告人らが被相続人菊川善造に保証債務があったことを大山信用金庫からの訴状送達を受けて知ったこと自体は認定している。また、被相続人の遺産(農地)はすべて長男一基が相続するものとされていたため、抗告人らは最初から自己が相続するとは考えておらず、相続放棄手続自体も知らなかったと認定している。

以上の認定事実のみで本件では当然抗告人らの相続放棄の申述は受理されるべきである。抗告人らは1億円以上の巨額の保証債務の存在自体、前記訴状送達まで知らなかったのである。しかもわずかな遺産(農地)も長男が被相続人死亡前から取得することとなっており、抗告人らが相続について特に利害、利益もなく関心がなかったことは明白であり、かつ認定どおり裁判所への相続放棄手続自体知らなかったのである。抗告人らは普通の市民であり、前記事実からみて1億円以上の債務を負担させるのはあまりにも酷である。

3、原審判は前記2の認定事実をする一方で、〈1〉被相続人に遺産があり抗告人らが知っていたこと、〈2〉抗告人フサエが被相続人と同居していたこと、〈3〉抗告人典子と重基は実家フサエ方と往来が保たれていたこと、〈4〉抗告人典子は被相続人がオオトリ急送の役員となっていたことを知っていたこと、〈5〉抗告人らが相続分不存在証明書を作成していたこと等、5点をあげて申立を却下している。しかし、いずれも概括的な事実で、このことをもって抗告人らに債務負担を強いるのはあまりに酷である。

(一) まず〈1〉の事実自体はそのとおりである。その点をもって前記最高裁判決にある「被相続人に相続財産が全く存在しないと信じた」との要件に該当しないとするのであれば、同判決の趣旨を誤解している。

相続放棄は本来相続すべき積極財産があってもなし得るものである。多くの相続放棄は積極財産があってもそれを超える消極財産(債務)がある場合なされている。最高裁の判決は同理由において、「3ヶ月間」の「熟慮期間」を許与しているのは「相続人が相続開始の原因たる事実、及びこれにより自己が法律上相続人となる事実を知った時から3ヶ月以内に調査すること等によって相続すべき積極及び消極の財産(以下相続財産という)の有無、その状況等を認識することができ、したがって、単純承認若しくは限定承認、又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいている」と述べている。このことを前提として「熟慮期間」の起算点繰り下げを認めているのである。

従って、前記判旨の「相続財産が全く存在しない」とは積極、及び消極財産双方の有無の認識について考慮し、一定の積極財産があっても消極財産(債務、特に積極財産を超える債務が問題となるが)について全く存在しないことを信じた場合を含んでいるものである。

消極財産(債務)について「全くないと誤信し、相続放棄の手続をとる必要がないと考えた」場合を救済するのが、最高裁判所の判旨であり、そうでなければこの判決には意味がないものである。

(二) 次の最高裁の前記判旨の要件が「相続財産の有無の調査を期待するのが著しく困難な事情」である。この点の原審判の理由が前記3の〈2〉~〈5〉であると考えるが、いずれも申立却下の理由にはならない。

本件大山信用金庫との取引について被相続人は同金庫と面談したりしたことも契約書に署名したこともない。長男一基が代筆したものである。従って、抗告人フサエが被相続人と同居していたとしても県内の金融機関でもなく、全く知り得なかったのである。本件では保証債務で、かつ前記のような事由があり、「同居」していたことでは申立却下の理由には全くならない。

更に、抗告人典子と同重基が実家と往来していたことのみで、債務を知り得たとは到底言えず、これも申立却下の理由にはなり得ない。抗告人典子も重基も実家にたまに行ったりしたとしても、被相続人自身の債務でもない本件債務につき関心を寄せるはずもないのである。

また、抗告人典子が「被相続人がオオトリ急送の役員となっているのを知っていた」としても、そのことと本件債務とは関係なく、「父親が長男の会社の名目役員となっている」程度の関心事にすぎないのである。最後の「相続分不存在証明書作成」については原審判認定のとおり従前から長男相続となっており、言われるまま署名しただけのことで被相続人の相続財産についてはむしろ関心がなかったのである。

(三) そもそも被相続人死亡当時、オオトリ急送の経営は何も問題なかったのである。平成5年秋頃になって「会社乗っ取り」策動があり、和議申立がなされている。本件大山信用金庫の債権についても平成5年11月まで遅滞もなかった。同債権の期限の利益喪失事由は前記和議申立にある。

従って、被相続人死亡時、抗告人らが本件の債務についての何の関心もないし、特に問題もない以上調査する必要もその理由もなかったのである。問題は大山信用金庫からの訴状送達によって発生したのである。

4、以上の理由から原審判はあまりに最高裁判旨を狭く考え、公正なものになっていない。大山信用金庫は抗告人らの相続人責任を信用して取引したものではない。債務額の巨額さからみても以上の事情からみても抗告人らに支払責任を生じさせるべきではない。抗告の趣旨の判断を求める次第である。

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